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2012/09/02

「五輪の精神」は何処へ

ロンドン五輪メダリストの銀座パレードに集まる群衆の歓呼の声を報道するマスメディアは何を考えているのだろう。メダルを取れなかった選手の精一杯の精進は意味が無いとでも言うのだろうか。銀座のパレードのニュース報道を見て、今の日本の状況に暗澹たる思いに心が塞ぐ。
 クーベルタン男爵の「参加の精神」はどこへ消えたのだろうか。韓国選手の行動、中国選手の試合態度が「五輪の精神」に反するとして批判されている。がしかし、銀座のパレードは「五輪の精神」に反しないのだろうか。クーベルタン男爵は「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」と語った。後に「参加の精神」「五輪の精神」と言われるようになる。

 この「参加の精神」しばしば曲解されてきた。出ることに意義がある、負けてもいいのだ、と。そうではない、記録やメダルよりも、己の力の精一杯、一所懸命、力を尽くすプロセスが大事だといっているのだ。
 パレードをするなら五輪出場選手全員で行い全員を祝福するべきだろう。むしろメダルを取れなかった選手を前に出す、メダルを取れなかった悔しい思いをした選手に拍手送る余裕が欲しいと思う。
 小泉・竹中政権の後遺症か、今の日本は「自己責任」「努力が報われる社会」といった成果ばかり求める風潮が横溢している。曰く「結果さえ良ければ」と。なんと狭量な社会になってしまったのであろうか。クーベルタン男爵の「人生において重要なことは成功することではなく、努力することである」を大事にしたい、結果ではなく、プロセスが大事、一人ひとりのプロセスに拍手を贈る社会でありたいとつくづく思う。勝ち組には、成功できなかった者の負け惜しみと映るのかもしれないが。
 
 メダリストのみを祝福する今の日本社会の風潮はメダリストたちに、映画「ヘルタースケルター」の主人公リリコの分身を見ているのであろう。映画の中の沼尻エリカの演技も、欲望・消費社会の醜さと華やかさ、地獄の美しさを一本のフィルムに仕上げた蜷川実花監督も素晴らしい。欲望社会、金にあかし先端技術の粋をこらした全身整形でスターの座を死守するリリコも又そのスターに憧れ狂気乱舞する大衆も共に人間そのものを欲望し、人間そのものを消費する社会の象徴だ。映画のラストシーンも意外、欲望社会はエンドレス、映画のファーストシーンに戻ったような光景が映る、そして主人公リリコは冥界の女王として蘇る。   銀座のパレードの狂騒に映画「ヘルタースケルター」の主題を観た思いだ。
 そういえばサブプライムバブルも同じ流れの中の出来事に観える。消費されたのは人間そのものだ、消費され格差の渕に沈んでいく。そうだ、リリコの身代わりが憧れのマイホームだったのだ。
 
 

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