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2012/10/24

網野善彦著「歴史を考えるヒント」新潮文庫-を読む

書名「歴史を考えるヒント」新潮文庫

著者名 網野善彦

 網野史学が書店で平積みになっています。網野善彦フアンとしては喜ばしい限りです。網野史学に触れたことのない方にはお奨めの一冊。網野史学のエッセンスが語られています。

 尖閣、竹島と領土問題から、にわかに「歴史認識」「歴史教育」なる言葉が飛び交っています。中国、韓国の政府が国民に教えてきた歴史教育が間違っているという論調です。古今東西、国家が義務教育で教える歴史とは、その時々の為政者(権力者)にとって都合のよいものです。日本の過去の為政者も、そして現在もまたその例外ではありません。
 
もっとも歴史そのものが勝者の歴史、敗者の履歴は勝者によって都合よく書き換えられ歪められてしまいます。その残された資料から、歴史家は過去を己れの智恵と想像力と己れの都合で読み解いていくものですから。
 
ですから後世の我々が「歴史を紐解く」には「歴史を学ぶ」ではなく、「歴史に学ぶ」という態度が必要に思うのです。歴史家EH・カーは名著「歴史とは何か」(岩波新書)の冒頭に「歴史とは、現在と過去との対話である」という有名な言葉を残しています。本文中にはこう書かれています「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」と。

西田哲学の言葉を借りるならば「歴史とは現在から過去へ問う永遠の対話である」と言い換えることができるのではないでしょうか。西田幾多郎は「過去の残滓、未来の萌芽が共に『今ここ』この刹那にある」といっています。「過去は現在の過去、未来は現在の未来、現在は現在の現在」なのだから。

「今ここ」の問いが変われば過去も変わり、未来もまた変わる。そして「今ここ」が変化して止まないとすれば、過去も未来もまた変化して止まないということではないでしょうか。歴史認識もまたしかりです。

網野史学は歴史教育に洗脳された日本人の頭の洗脳を解き、頭を柔らかく解きほぐしてくれます。混迷を極める今の世界、今の日本にあって、歴史認識を新たにすることで混迷の中に光を見出すことができるかもしれません。なにしろこの本「日本という国名」から解き明かしています。「日本とは?」

 網野史学は今多くの日本人がイメージしている「百姓=農民=米作り」の「=」を切ってくれます。百姓は本来、百の姓(かばね)様々な職能民を包摂した名称でした。漁業、廻船業、製塩業等々海に関わって生活する人々、著者は海民と記しています。養蚕、機織り、窯業、林業、商業、金融業と様々な職能民を百姓といったものが中世近世と時代が下がるに従って「百姓=農民」というイメージになっていきます。

極めつけは明治維新の新政府、歴史教育を通じて徳川政権以前の日本を遅れた農本主義による封建社会と教え込んでいったのです。戦後の歴史教育もそれを継承していて、いつの間にか「農民=米作り」が刷り込まれてしまいました。今では農水省が農業・林業・水産業をまとめるようになり、あたかも「農水省=米作り」といったおもむきになってしまっています。農、林、水産、酪農業等々個別具体的に政策を考えれば、様々未来への明るいの道も開けてくると思うのです。
 
網野史学は東日本と西日本という地域の違いも明らかにしています。東西の政権交代の歴史を知って、NHKの大河ドラマを見るとドラマを見る視点も多様になって面白さも倍増するのではないでしょうか。 

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