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2012/11/24

晩秋の高野山を訪ねて(2)合戦シミュレーションは?

    <巨木から漂う霊気>
20121119dsc03377b宿坊の朝はまず7:00から、本尊の不動明王の下で勤行に参加。瞑目しながら読経をしばし聞いていると、読経の声が脳に響いて、紫の炎のようなものが額のあたりからゆらめきながら飛んでいきます。一人で瞑想するときとは違った不思議な感覚。
 

 

 

<御廟との結界の小川>
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 朝食の部屋は安土桃山時代の建物と聞くだけで、厳かな風情があります。給仕をしてくれている若いお坊さん、高野山大学の学生のアルバイトなのでしょうか、朝食が終わると、参道の坂道を転ぶように走っていきました。
 早朝の奥の院太陽の光が当たり始めると、巨木の木肌から霊気が湧き出てきます。一瞬のシャッターチャンスを捉えました。
 

      <信長と順慶の墓>
20121119dsc03376b早朝の静まり返った森の中に散在する墓石、戦国乱世に覇を競った武将達が滅ぼした者も滅ぼされた者も静かに眠っています。織田信長と筒井順慶が並んでいます。心なしか順慶の墓石が信長の方に傾いています。信長に臣従して奪われた領地を取り戻した、その恩が残っているのでしょうか。

        <上杉謙信>
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 関が原、大阪夏の陣と生き抜いて徳川政権下に家を存続させ大名になった武将の墓ほど幾分大きいのも当たり前のことなのでしょうね。大きいといってもさほどの違いはありませんが。「墓は欲張るな」を後世に伝えているのでしょうか。
 武田信玄は親子で眠っています。多くは五輪の塔を中心に石造りですが、上杉謙信のものは檜皮葺きの廟から参道を見下ろしていまますが、謙信らしい凛とした趣があります。

     <伊達政宗>
20121119dsc03351b歴代天皇陵から、法然、親鸞といった鎌倉期比叡山から出た新宗派の開祖までこの山域に眠っているというのも空海の名が示す、広大さゆえなのかも知れません。

                                        
      <法然上人> 
20121119dsc03369b   現世で智謀の限りを尽くした歴史上の武将達の墓石群を拝観している内に、シミュレーションゲームを思いだしました。空海の御廟の前に液晶大画面テレビをおいて、夜な夜な武将たちに当時の智謀を再現してもらって、テレビ放映したらさぞおもしろかろうと。審判は、空海一人にお任せして。どんなシミュレーションが再現するのでしょうね。
 未だ国産のパソコンも無い頃、温泉に浸りながら、仲間と関ヶ原の合戦のボードゲームを楽しんだことを思いだします。歴史好きなSさんと、一回り若いGさんが対戦したところ、石田三成の西軍が圧倒的な勝利でした。それもそのはず、歴史を知らないBさんは、小早川は裏切らず、毛利を動かし、島津を死にものぐるいで、徳川家康の本陣に殺到させたのです。
 明治期日本陸軍の将校教育にに来日したドイツ帝国陸軍メッケル少佐の指摘通りの西軍の大勝利です。終わってからルールを読み直して大爆笑、小早川を動かすには恩賞をたっぷり、その上、闘いの終盤に西軍優勢のとき動くのです。酒の肴に尽きない一夜でした。今はスマホでもできるのでしょうか。合戦のシミュレーションは、液晶大画面が相応しいと思うのは老中ゆえなのでしょうかね。
 次に訪ねるときは、高野山から熊野古道を熊野へ向けて歩きたいと思いつつ下山しました。

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