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2013/05/03

雪の槍ヶ岳(3)上高地へ下山

   <北アルプス最奥部の黎明>
20130429dsc03935b4月29日4時50分のご来光を迎えて、いよいよ下山の日、「行けるところまで」のつもりが目標を達成、満足の下山だ。
 左奥の黒部五郎岳から右奥の薬師岳と北アルプスの最奥部も新雪の衣に覆われたなめらかな柔肌をピンクに染めて横たわっている。なんとも穏やかな、美しい景色だ。激しい強風に煽られながら氷点下7、8度の寒い中でシャッターを切っている風景にはとても見えない。

                                                          <槍ヶ岳の朝>
                   20130429dsc03950b      槍の穂先の右手北信五岳の後ろから朝日が登ってくる。
 槍沢を見下ろすと、しっかりザイルで結んで早々に下っていくパーティがある。








   <雪渓を下るパーティ>
20130429dsc03946b
槍沢の下山路も5人のパーティも朝日に染まっている。
 さて自分も6:00下山を始めよう。
 
                           

<左に常念岳、正面の蝶ヶ岳>      

20130428dsc03873b
 昨日はひたすら下を向いて雪面に額を接するように登ってきた。今朝は、斜面に立つと、目の前が開けて、雄大な雪の斜面が広がっている、左のピラミッドの姿の常念岳から正面に蝶ヶ岳の山並みだ。
 <横尾から屏風の頭>
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12:30分槍沢の樹林帯を抜け横尾橋に着く。一昨日の冬の風景が嘘のようだ。屏風の頭の岩壁も心なしか優しく穏やかに見える。こうやって下から見上げると、昨秋屏風のコルを越えて涸沢へ入ったのも己のことなのに嘘のようだ。
 
    <梓川畔から明神岳>           
20130429dsc03981b_2
 徳沢から明神館への梓川左岸の道を歩いていると右手に明神岳の岩峰がそそり立っている。井上靖の小説「氷壁」の舞台、奥又白谷も雪もたっぷり蓄えて雪渓になっている。
 雪が解けると奥又白の池が現れるところだ。一度は池に映る明神岳の紅葉を見たいものだと、この風景を見上げるたびに思う。 
   <春の息吹>
20130429dsc03977b_3梢で、木の皮を剥いで、食べていた猿の群れも一昨日は心なしか寒そうにみえたし、山道もすっかり雪におおわれて真冬のようだったが、今日は雪の解けた道端にふきのとうが花を開いている。一昨日の雪の下にもしっかり春の装いが隠れていたようだ。 進むか、留まるかと悩んだのは嘘のようだ。 
 一本前のバスに乗れたら、沢渡で途中下車、温泉で身体を癒して帰れるのだが。諦めて上高地のお風呂で汗を流して17:25分発のバスで松本へ出る。
 バスの中で携帯にスイッチオン、再び現実の世界とつながる。途端にブルブルと来た、「今日は戻るのですか?」と幾分険しい家内の声が響く。予定は明日のはずなのだが、今年もこの季節遭難のニュースが多かったようだ。

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コメント

昼行灯さん
コメントありがとうございます。登山口では意気軒昂ですが、下山すると、いきも絶え絶え、しかし風呂に入って電車の中で缶ビールを飲みはじめると、次はどこに登るか思案している自分がいます。さて、何歳まで登れるのか?

投稿: 懐中電灯→昼行灯さんへ | 2013/05/06 10:29

先ずは無事のご帰還おめでとうございます。春山をたっぷりと堪能されたようで何よりです。それにしても素晴らしいパワーをお持ちで、羨ましい限りです。お疲れ様でした。

投稿: 昼行灯 | 2013/05/03 19:54

先ずは無事のご帰還おめでとうございます。春山をたっぷりと堪能されたようで何よりです。それにしても素晴らしいパワーをお持ちで、羨ましい限りです。お疲れ様でした。

投稿: 昼行灯 | 2013/05/03 19:53

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