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2014/01/01

今読む「星の王子さま」(3)意識と無意識

 

王子さまの住んでいた星を王子さまの心に譬えて読むこともできそうです。ユング心理学ではひとの心は地球ように三層構造になっているといいます。地殻にあたる表層の意識的心と無意識的心です。その無意識的心が中層のマントル層とさらに下の深層にあるマグマという構造になっている、地球の核マグマのように心の深層の真の自己という構造になっているといいます。王子さまの星に二つの活火山と一つの休火山があるというのもそれを暗示しています。

 王子さまは毎日火口を掃除して煤を取り除いています。もちろんいつ噴火するかわからないので休火山の掃除も忘れません。男性の無意識的心のマグマにはアニマという女性性があり、活火山を通して表層にエメルギーを送り表層の父性性を補い支えています。同様に女性にはアニムスという父性性があるとユングはいいます。意識的心が自我、無意識的心が自己です。

 

どこからか飛んできた種子に水を与え、風、寒さから種子を守り守り一輪のバラの花を育んだやさしい心、王子さまは自分が育んだと思っていますが、それは無意識的心のアニマ(女性性)を通して地殻の意識的心に表出した深層の真の自己の一面なのです。表層の意識的心は、「やってやったのに」と、真の自己に潜むやさしさを、利己的な自我に変えてしまい、バラの花を利己的な我がまま、高慢な姿と感じ取ってしまいました。それは、己の意識的心の自我をバラの花に投影した影像をみていたのです。王子様の旅立ちはその己の自我と深層の中核にある真の自己との統合を求める自己実現の旅の譬喩と読むことができます。

 旅の最後、七つ目にたどり着いた地球という星で出会う毒へび、一群のバラの花、キツネ、パイロット、砂漠の井戸との交流、関係性を通して、自分の星に残してきた一輪のバラの存在の大切さに気づき、最後は毒へびに噛まれ死ぬことを通して、自分のバラの花のところへ恐恐、おずおずとゆっくりと帰っていきます。ラストシーンの「王子さまの死」は「死」ではなく、自我と真の自己との統合を果たし、自己に目覚める自己実現を暗示しています。

  仏教では「己を捨てよ」とか「無我になれ」といいますが、これがまた難しい、地球の地殻のような表層の意識的心が自我ですから、硬くてそう簡単には、棄てることも変えることもできません。ユング心理学にいう表層の自我と深層の真の自己との統合と表現するほうが実現することは同じ困難がともないますが、頭で理解するには、わかりやすいように思います。星の王子さまの物語は、仏教にいうところの無我になる、悟りへの物語とも読むこともできるのではないでしょうか。

  王子さまが一輪のバラの花に見たものを、己自身が投影された影像としてみるということは、我々一人一人が他者(森羅万象)と接するとき、己がみるものはすべてが影像であり、そのすべてを己の自我の投影としてみる、己の深層の真の自己をも他者としてみることなのでしょう。そのとき最澄のいう「山川草木悉有仏性」の仏性と、己の内なる真の自己(仏性)とががひとつになった姿なのかもしれません。
 星を己のこころ(識)王子さまを自我、一本のバラの花を内なる仏と譬えてみるとき、「大切なものをこころでみる」旅の始まりは、「袖すり合うも他生の縁」過去の己も未来の己も「今ここの己」から刹那の距離をおいて他者としてみることであり、その旅の終わりは他者のなかに生きる己という永遠の生を知ることなのだ。とサン=テクジュペリは語っているのではないでしょうか。

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