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2014/04/24

経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識

<経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識>
 人間の心には意識的自己(自我)と無意識的自己があります。経営体験の間、多くの方は「『私が』カードを引いている」と思っています。この「私が」が意識的自己、自我ともいいます。天動説(自己中心思考)から逃れられない原因が、自己がこの「私が・・・」という意識から始まっていることにあります。前回書いた「流離う心」、流離うのはこの意識的自己です。

その「私が」に先立って無意識的自己があるというのが西欧ではフロイト、ユング、アドラーに代表される深層心理学です。さらにその無意識的自己の生じる一瞬手前にあるものを西田幾多郎は「善の研究」の冒頭で「純粋経験」と命名し、「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」、と語っています。西田哲学の始まりのはじまりです。お釈迦様の云う「因縁生起」の関係性が生じる瞬間のことです。

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経営体験に観る「今ここ」(3)”今”と”ここ”は分けることはできない

 <経営体験に観る「今ここ」(3)“今”と“ここ”流離う心>

  古代の人々は、地平線から昇る太陽の神々しさに「神」を観、「生」を観、夕日が沈み、あたりが闇に包まれるのを感じて「死」の意味を悟ったのでしょう。「今ここ」は常に不可分にして一つでした。ところが人間は時計を発明し、“時”を測ることに成功し、時空から分離してあたかも“時”が独立して存在するかのように意識するようになりました。日の出から日没、翌朝の日の出と、一日はまだましなのですが、均等に24時間、60分、60秒とあたかも時は均等に同じ長さで過ぎてゆくかのごとく意識し、「ここ」から意識(心)が飛ぶことを覚えてしまいました。 

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2014/04/04

<雪の北八ヶ岳縦走(3)稲子湯へ

     <しらびそ小屋>
20140326dsc04854b 今日は2014年3月26日下山の日、7:30分小屋を出る。行程は3時間程度、のんびり樹林帯をスノーシューで歩く。一時間半ほど昨日の午後の道を戻るとみどり池の向こうにしらびそ小屋がみえる、池といっても今はすっかり氷に覆われ雪に埋もれている。

                                           
                                  <天狗岳東峰>
                             20140326dsc04860b_2
急ぐ行程でもなし、毎々のことちょっと立ち寄りをする。 ご夫婦で経営する小屋だ。ご主人は里へ下りているらしい。お汁粉を注文してしばし雑談の一時。熊笹のお茶が美味しい、三杯も飲んでしまった。窓の外はリスの餌付けに置いたひまわりのタネに小鳥が群れている。代金を払い、普通は一個のお餅が二切れ入っていたお礼を添えて外へ出る。
 名残惜しく池の畔に戻ると、昨日登りそ損ねた天狗岳が険しい岩壁を露出してそびえ立っている噴火で断裂したのだろうか。この天狗岳を境に八ヶ岳は女性的な優しい柔らかな山容の北八ヶ岳と男性的な岩山の南八ヶ岳に分かれている。この天狗岳は境の山らしく西北面は、柔らかな山容を見せ、東北面は屹立している、両性具有の山だ。                                                                                                 

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