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2014/04/24

経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識

<経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識>
 人間の心には意識的自己(自我)と無意識的自己があります。経営体験の間、多くの方は「『私が』カードを引いている」と思っています。この「私が」が意識的自己、自我ともいいます。天動説(自己中心思考)から逃れられない原因が、自己がこの「私が・・・」という意識から始まっていることにあります。前回書いた「流離う心」、流離うのはこの意識的自己です。

その「私が」に先立って無意識的自己があるというのが西欧ではフロイト、ユング、アドラーに代表される深層心理学です。さらにその無意識的自己の生じる一瞬手前にあるものを西田幾多郎は「善の研究」の冒頭で「純粋経験」と命名し、「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」、と語っています。西田哲学の始まりのはじまりです。お釈迦様の云う「因縁生起」の関係性が生じる瞬間のことです。

「経営体験に観る「今ここ」(2)に舘野一郎さんが寄せてくれたコメントに「単に地動説を信じるのではなく、天動説を経て知るというプロセスが大事だというのでしょうかね。」とありました。まさに「意識的自己」を経て“知る”「無意識的自己」です。この場合の“知る”は知識として知る、論理的に知るではなく、直観、直覚の意だとおもいますが。
 経営体験でカードを引いた瞬間に関係性が生じ、次の瞬間に己の無意識が働き、その次の瞬間に意識が働き(言語化)はじめ、行動が起こる、という瞬間(刹那)の流れです。
 思いがけずリスクカードで、販売の機会に恵まれ、精一杯努力して販売した、その結果品切れを起こしてしまいます。次の瞬間にお客様との縁は切れています。
一巡して「意思決定カード」を引き「完成・投入」の意思決定をすれば、切れたお客様との縁は復元されていて、何ごとも起こりません。が「お客様カード」を先に引くと、その縁は己をスキップして、隣の経営者の上に顕在化されてしまいます。その瞬間「あの時売らなければよかったのか?」と迷う(心が過去を流離う)のです。「あの時売らなければ」が買ったお客様に伝わったら、お客様はなんと思うのでしょうか。
 
一方で「私が」意思決定カードを引いてから、「私」の会社盤を見つめて、コスト、生産性、能率、効率とさまざま思考し、他の経営者の顔色、会社盤をチラチラ、マーケット盤上をチラチラと眺めて逡巡します。すべては意識的自己が彷徨っている状態とも言えるのです。それらのすべては己の都合ですからね。
カードを引いて後の瞬間、瞬間の連なりは繋がっているように思えるのですが、連凧と喩えたように、一瞬一瞬に断絶しているのです。お釈迦様の云う刹那滅(刹那に滅し刹那に生じる)であり西田哲学に云う「非連続の連続」であり「死と生」の意でもあります。それが「今ここ」の覚悟であり、「もし・・・しなかったら」はないのです。すでに死んだ、「過去の『今ここ』」ですからね。<続く>

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