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2015/10/31

バック・トゥ・ザ・フューチャーに見る現在過去未来(2)永遠の遅れと循環

<図2.永遠の遅れの自覚>
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3.科学的思考の限界を
 縦軸に「相手中心・自己中心」を加えて4象限にしてみた。ここに言う相手とは他者、自己とは自我である。第一象限の「他者と未来」他者の視点から未来を考えるのが戦略の領域だ。右下の第四象限の「自我と未来」、未来を自己中心的に考えるのが、計画の領域だ。人間の 思考が自己中心になることからは逃れることはできない、それが主語述語という言葉で考える人間の思考の限界なのだから。計画はいかに利他の精神で考えても目標であって目的ではない。自己中心なのだ。 計画と実績に差がでる因(種子)がそこにある。
 「過去と自我」過去を自己中心的に考えるのが第三象限、管理の領域だ。計画と実績の差を「何があったんだ」「誰がやったのか、やらなかったのか」差異という結果から原因を因果論的に探すこと終始する。これはお釈迦様のいう「二の矢を継ぐな」だ。原因(犯人)探しをしても、出てしまった差異は埋まらない。差異を埋めるのは、“今ここ”の現在の行動に託されている。
 「過去と他者」相手中心に過去を見直すのが第二象限、分析の領域だ。実は過去の自分は、すでに他者なのだ。思考の上では対象として扱っているのだから。そこにも思考の主体としての己れが存在する。“今ここ”の一瞬の主体としての己れのみ唯一実在なのだ。いかに客観的に他者の立場で振り返っても、そこに他者であるべき過去の己れが介在する。科学的思考といわれる「Plan→Do→Check→Action」の構造とはこの縦軸に「他者中心・自我中心」横軸を「過去・現在・未来」とする四象限の永遠の循環なのである。計画と実績にズレ(差異)が出て当たり前なのだ。ズレの原因は二つだ。科学的思考には思考の主体としての、主語としての己れと、対象としての、述語としての他者とのズレ。一瞬も留まることのない刹那の時のズレである。すべてはその二つのズレによって循環的に変化していく。「P→D→C→A」のサイクルを回すだけでは。このズレは埋まらない。埋まらないズレは種子として未来へ引き継がれていく。いつか縁に出遭って、芽が出て膨らんで花が咲く。その花が自分にとって都合がいいか悪いかそれは咲いてみないとわからない。

                            <図3.永遠の循環>
Photo_64.キーワード
 計画を立てることで第一象限の戦略の領域と第三象限の管理の領域が繋がる。計画を立てなければ日々行き当たりばったりのその日暮らしの経営だ。経営者も社員も、企業活動を通して、己れの夢や目標を描くことはできない。第一象限のキーワードはまず永遠の課題解決、二つのズレは永遠のズレだから、そのズレを修正する課題は絶えることはない。そのズレは顧客と己れとのズレでもある。そこを埋めるところに顧客満足もある。そして売上(PQ)ではなく、粗利益(mPQ)志向だ。販売単価(P)の設定も、変動単価(vP)も己れの都合で、その差が粗利単価(mP)で、それを他者であるお客様が認めてくれて、はじめて粗利益(mPQ)になる。粗利益(mPQ)を付加価値という人も多いのだが、変動単価(vP)に己れの価値を付加するものではない。ズレを解消した証しだからあくまで引き算なのだ。変動単価(vP)の裏にだって取引先という他者が存在する。無理やり引き下げればそこに新たなズレが生じ、さらに問題の種子を孕むことになる。
 三井住友建設、旭化成のデータ偽装が、その好事例だ。一次二次とより弱い他者へしわ寄せをする。その下請けはさらに弱い、低賃金の派遣社員にやらせる、業務の軽重に見合うコストをかけていないのだ。いつかその種子が“今ここ”の関係性によって花が咲く。天網恢恢疎にして漏らさずという格言もある。企業の目的は「永遠の生」永遠の継続にある、孕んだ種子はいつか芽が出て花が咲く。第一象限のキーワードは一言でいえば「お客立ち」「他者への貢献」なのだ。
 第一象限の対局にあるのが第三象限、管理の領域、この領域のキーワードは会社第一主義、利益(G)志向となる。近年「経営の目的は利益」と公言してはばからない経営者も多くなった。無教養丸出しいかがなものか。
ムリ、ムラ、ムダの排除といった当面の、目先の課題解決だ。利益(G)は粗利益(mPQ)から固定費(F)を差し引いたものだから、固定費(F)削減も利益(G)の課題解決の一つの方法となる。その固定費(F)の裏にも従業員という、より弱い立場の他者が存在する。派遣社員制度、非正規雇用制度も法人税軽減、消費税増税も経済界の利益(G)志向の現れだ。そしてブラック企業にリストアップされる会社も同じ。だから自他のズレは縮まらず循環が途切れ経済は停滞し、縮小する。
 第三象限の管理の領域は、第四象限との間に、刹那の時のズレがある。そのズレを認識するには第四象限の計画が不可欠なのだ。計画のない管理は、そのズレにさえ気づく縁にさえ出会えない、極めて自己中心的な後ろ向きなものになる。
5.ズレの認識と自戒
 第一象限と第二象限の境に生じるズレは自他分別によって生じるものだ。未来の己れも過去の己れも、“今ここ”の実在の己れにとっては既に他者、己れ以外の森羅万象もすべて他者、他者と“今ここ”の己れとを分かつものが言葉による主体と客体の自他分別にあるからだ。計画はいかに緻密に立てようと、自己中心にならざるをえない。計画必達に固執するのは目標の目的化の現れ、企業不祥事の種子を蒔くことになる。
 第四象限と第三象限の境に生じるズレは、一瞬として留まることにない刹那のズレ、“今ここ”の現在から“今ここ”の未来へ、未来の“今ここ”は刹那に現在の“今ここ”へと移りゆく。それを鴨長明は方丈記の冒頭に書き残した。「行く河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。」と。自他のズレ、時のズレこの二つのズレを己れが認識する瞬間はいつも刹那に遅れている。それが自己認識の形だという自戒が不可欠なのだ。
 第二象限の分析の領域と第三象限の管理の領域の境にも自他のズレがある。その自他のズレを回復するには、眼を瞑って跳ばなければならない。そして第二象限から第一象限の境、ここも跳ばなければならない。“今ここ”の現在から“今ここ”の未来へ時空を超えて跳ぶのだ。飛ぶでも、翔ぶでもない、跳ぶのだ。場から場へ。
 「バック・トゥザ・フュチャーⅠ」では、ドクとマーティは過去を変えると未来が変わってしまう」と必死に過去を修復して戻る。きっと“今ここ”が幸せなのだ。パートⅡでは2015年10月21日にワープする。30年後のマーティの家庭はまさに家庭崩壊の真っ只中。その原因がふとした自分の不注意で、未来を書き換えてしまったことにある。己れの些細な不注意に悪友ビフ・タネンが気付いて1955年に戻って過去を書き換えてしまったのだ。
 人は因果論に甘えて、現在の不幸はつい過去に原因を求めてしまう。マーティの家族崩壊は、たまたまのちょっとした自分の何気ない行為、それは原因ではなく、それは種子。それを偶然眼にした悪友ビフ・タネンがその縁を生かしてしまう。
 人は“今ここ”の現在が不幸になると、つい因果の法則というタイムマシンに乗って過去へ戻ってしまう。マーティはデロリアンを疾駆して、過去と未来を往復しめでたく復旧することに成功する。しかし因果の法則のタイムマシンは“今ここ”の現在の過去と“今ここ”の現在の未来とを往復するだけで、現在の現在が変わるわけではない。お釈迦様はいう。「過ぎ去った過去を思い煩うな、未だ来たらざる未来に思いを馳せるな、“今ここ”に留まれ」と。哲学者西田幾多郎は「『因→縁→果』はすべて、“今ここ”の現在に矛盾的自己同一として存在する」、「過去の残滓と未来の萌芽が“今ここ”の現在にある」という。そして刹那に、今は過去に、未来は今に移りゆく。“今ここ”の現在の行動が種子となって、それが未来の証として顕れる。計画を立てることが唯一未来を垣間見る手段、夢、目標、計画は“今ここ”を必死に生きるための手段なのだ。夢の実現も目標達成も未来の“今ここ”に属することだから。

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