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2017/01/02

明けましておめでとうございます(循環の思想と即非の論理と)

<顧客満足の循環>
20170101今年は酉年とあって、葛飾北斎の八方睨み鳳凰図を左端のスタートに置いてみました。
 ヨーロッパ、中東の混迷は深まるばかり、米国のトランプ大統領の就任で、日本を取り巻く政治、経済の環境も穏やかならざるものがあります。
 どう考えてもこのままでは混迷は深まるばかり、安倍政権も「成長!」「成長!」とエンジン全開ですが、おそらく国家の借金(国民が負う)は増大の一途、さてさて行く末はいかに。
 干支は循環の思想の表れ、そろそろ西欧の二元論を離れ、「森羅万象に神宿る」の循環の思想に思いを致す、最後のときではないかと思います。といってもこの図柄既に干支を二回りしてしまいました。((苦笑)

                                   <理「即」念>
 
20161116循環の思想は、9世紀に入って比叡山で最澄によって、仏教と融合しました。大乗仏教の経典華厳経の「山川草木悉有仏性」と「森羅万象悉有神性」とは相思相愛、とても相性がよかったのでしょうね。さらに13世紀初頭比叡山を下り浄土真宗を開いた親鸞は著書「教行信証」に「信即証」と記し、20年ほど遅れて、比叡山を下り曹洞宗を開いた道元は著書「正法眼蔵」に「修即証」と記しています。共に般若心経にいう「色即空」と同じ概念です。
 

     <借方「即」貸方>
20161116_2
 さらに下って20世紀半ば仏教哲学の人鈴木大拙はこの大乗仏教の肝心要の「即」を「即非の論理」という言葉に集約しました。
 親鸞の「信即証」は「信⇔証」、「信じることと救われることは同じではない、同じではないが分けることはできない」となり、道元の「修即証」は「修⇔証」、「修と証は同じものではない、同じものではないが分けることはできない」となります。
 翻って経営理念は社員全員が「理即念」と理解していないと単なるお題目になって企業不祥事の遠因になってしまいます。
     <F「即」mPQ」
 20161116_3商品・サービスは「念=仏性)の現れ(相)、組織のいのち(仏性)の現れな
のです。
 複式簿記の資産と資本も「資産即資本」マネジメントゲームの経営体験を通して学んでいただいている「F=mPQ」も「F即mPQ」なのです。
 全ては循環、そのそもそもの初めは「宇宙の法」、森羅万象を成り立たせている不可思議な「何か」、名をつけないと表現できないので、大乗仏教哲学では「空」と仮の名をつけ、それを仏教的には「仏性」、縄文の自然教では「神」と仮の名をつけたのでしょう。
 それぞれ始原は「信」「修」「念」「資本」「F」ということになると思います。普遍的には「空」。
 西欧では、それを実在の神とし、造物主としたために、「有」と「無」の二元論に立つことになったのではないでしょうか?二元論では永遠に普遍を求めて争うことになります。
「宇宙の法」を実在の神としなかった、ご先祖様縄文人に感謝感謝です。といっても僕のご先祖様は民俗学的には揚子江から流れてきた難民だそうですが。(笑)
<追伸>
 昨夏長野県小布施町を家内と散策した折、岩松院というお寺に立ち寄り葛飾北斎の描いた21畳ほどあるという天井画の下に立ちました。八方睨み鳳凰図の名のとおり、どこに立っても、鋭い眼光に射すくめられているような迫力の天井画です。北斎89歳のときに描いたとは思えない迫力です。色紙を一枚買い求め正月の縁起にと居間に飾ったのですが、家族の妄心を眼光鋭く睨んでいます。(苦笑)

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