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2017/02/26

映画「沈黙」を観て

遠藤周作著「沈黙」をマーチン・スコセッシ監督が映画化したと聞いて、若い頃読んだまま記憶の底に沈んでいるストーリーを思い出すべく読み直して、上映されるのを楽しみに待っていた。監督が小説「沈黙」に出会い、映像化しようと30年の長きにわたって考え続けた作品だという。
 ご自身がクリスチャンでもある遠藤周作が日本人であるがゆえに持たざるをえなかった「神の実在」という信仰上の悩みの過程を、江戸幕府初期のキリシタン弾圧と信徒の棄教との関係に置き換えて語ったのだろう。
 遠藤周作の原作は発表当時西欧では発禁処分にした国も多かったと聞いている。日本人が映画化するには、小説のテーマをまともに描けたとすれば、映像であるだけに「神の実在を信じる一神教の人々には、小説以上に厳しい扱いをうけるのではないだろうか。
 とはいえ「神の実在」を宗教の本質とする人々が日本人の遠藤周作の日本人ゆえの信仰の悩みを理解して映像化するのも困難に思われる。遠藤周作の原作は神への冒涜とも読めるだけに難しいだろうと思うのだ。しかしマーティン・スコセッシ監督は構想30年、抑制...の効いた映像、脚本、俳優の名演技で見事に映画化してみせた。

 「神は実在するのか?」「しないのか?」「なぜ拷問に喘ぐ信徒の苦悩に神は沈黙を貫くのか?」。タイトルどおり映画の始まりは真っ暗なスクリーン、,暗闇の観客席に虫の声が響いてくる。そしてラストシーンも又虫の声が闇から聞こえてくるのだ。タイトルに似つかわしい始まりと終わり、「実在するのか?」「しないのか?」それは人類永遠のテーマ、それは「あなたの心が決める」と、いっているようにも想える。
 徳川幕府のキリスト教信者への過酷な拷問に苦悩する信者を前に沈黙のままの神、いかなる弾圧にも耐え忍び、死んでいく者、踏み絵を踏んでも踏んでも、信仰を捨てることのできない、弱き者の象徴キチジロー(窪塚洋介)とポルトガル人司祭のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)との対話も、人間の弱さと強さは逆接的、「信じ続ける」ことはメビウスの輪の上を永遠に回り続けることのように思えてくる。
 ロドリゴ司祭はキリスト教を禁教した日本に潜入して、日本人信徒の信仰を支えようと奔走し捕らえられ、棄教を迫られる。己れが踏み絵を踏めば、眼前の日本人信徒への苛烈な拷問は止められる。「信者の苦悩を救うのがお前の神ではないのか?」、奉行井上筑後守(イッセー尾形)のロドリゴ司祭への問いかけは巧妙だ。キリストの肖像を描いた踏み絵を前に 「心より踏めとは言うとらぬ。こげんものはただ形だけのことゆえ、足かけたとてお前らの信心には傷はつくまい」と問いかける。
 踏んでも踏んでも己れの信仰を捨てられない弱者キチジローに、親鸞の「己れは罪悪深重の凡夫」を見る。神の代理人であるはずのロドリゴ司祭は、己れの信仰のために、信仰の強さゆえに、眼前の拷問に苦悶する信徒を救うことができない。信徒の信仰のためではない己れの強さ?信仰の堅さ?信仰の硬さ?のゆえにだ。
 抑制の効いた演技で通辞を演じる浅野忠信のセリフはこうだ。「仁慈の道とは畢竟、我を棄てること。我とはな、徒らに宗派の別にこだわることであろう。人のために尽くすには、仏の道も切支丹も変わりあるまいて。肝心なことは道を行うか行わぬかだ。」、と。
  棄教したロドリゴ司祭は岡田三右衛門と名乗り妻帯して30余年江戸で暮らすことになる。最後の場面、棄教して岡田三右衛門と名乗ったロドリゴ司祭の遺体を座棺にいれて火葬場へ運ぶシーンも映画のタイトルらしい。座棺の中の遺体も沈黙のまま、しかし胡座をかいた遺体の胡座の上の水を掬うお椀のように丸くなった両の掌、その中に、ちいさな十字架が大事そうに置かれている、小説には描かれていなかったシーンだと思うのだが、やはり西欧人らしい描き方ではないか、と。ちょっとこだわり過ぎのように思えるのも己れが日本人の宗教観にどっぷりひたっているからかもしれないとも思う。
 棄教して、日本人名を名乗り、妻帯し、「入専浄真信士」の戒名を与えられ、火葬になっても、司祭ロドリゴとしてハライソ(天国)へいったのか、いかなかったのか?
 さて「神は実在するのか?」このテーマは、今日の中東の戦乱、西欧諸国の難民問題の解決不能とも思える混乱の大きな要因の一つではないか。加えて、今日本の政治の戦前回帰への方向を考える視点としても觀ておきたい映画だと思いつつ映画館を後にした。

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