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2018/10/01

今読む!書名「未来を読む」著者ジャレド・ダイアモンド他

書名「未来を読む」-AIと格差は世界を滅ぼすか-
インタービュー・編-大野和基
著者 ジャレド・ダイアモンド/ユヴァル・ノア・ハラリ/リンダ・グラットン/ダニエル・コーエン
出版社 PHP新書(2018年6月23日初版)
書名「情報の文明学」 
著者 梅棹忠夫
出版社 中公文庫(文庫版1999年初版)
20181001_3 トランプ政権の誕生で分断されつつあるアメリカ社会のその分断が露わになってきたように思う。同じように日本社会でも安倍政権の誕生以来分断されつつある日本社会の分断が露わになりつつある。しかしこの露わになった多様な分断線は、第二次世界大戦の混沌(廃墟)から70年余の帰結なのかもしれない。さらに遡るアメリカ建国以来、日本では明治維新以来の様々な線引きの帰結なのかもしれないとも思う。とすると、”今ここ”の分断線に眼を奪われていても解決策は浮かばない、解決策なんてあるわけがないのかもしれない、唯一の解決策は再びの混沌に戻ることなのか?と思いつつそれでも「よい処方箋はないものか?」と書店の店頭を渉猟してみた。「犬も歩けば棒に当たる」の格言通り本書に当たったのだ。「しめた!」と思った。
 新書であり、インタビューをまとめたものではあるが、著者は、「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイアモンド、「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ、「LIFE SHIFT」のリンダ・グラットン、「経済成長という呪い」のダニエル・コーエン、といったすでに日本でも著名な方々、既にこれらの著作を読まれた方も多いことと思う。西欧の碩学の読む「未来とは?」。立ち止まって耳を傾けて、少し遠くの未来を見ておくことは己れ自身の未来の処方箋を考えるうえでも貴重なことではなかろうか。
 サブタイトルには「AI,格差、滅ぼす」気になる漢字も踊っている。AI、人工知能の高度化、IPS細胞、ゲノム編集といった医学分野の高度化は人間社会の未来に何をもたらすのか。
  ハラリは「お金や国家、法人、人権といった『虚構』を信じる能力が、ホモ・サピエンスを今日の地位にまで押し上げた」といい、またその「虚構の奴隷になるな、虚構を利用して利益をあげよ」ともいう。利用できないひとは「役立たず階級」になり、高度化しいていく医療の恩恵に預かって不老不死のホモデウスになるのも虚構を利用できる極々一部の人々ということなのだろうか。本書で確かめたうえで、信じるか信じないか、己れの未来を考える一助にしてはいかがだろう。
 日本の碩学、経済学者にして哲学の人、岩井克人はハラリのいう虚構を「社会的実体」と名づけている。そして人間という実体はこの「社会的実体」と「生物的実体」の「不一・不二(一つではないが二つに分けることもできない)」、「絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎が晩年に紡ぎだした言葉)」を生きる存在であると、いう。ハラリのいうように都合よく利用することはできない。人間的実体(虚構と生物的実体の絶対矛盾的自己同一)の闇(絶対無)から蠢き出る善悪ともども受け止めて生きていくのが人間であり、人間社会そのものだ。
 こういう難問にぶつかったとき、僕がバイブルのごとく開く座右の書がある、先見力の人、梅棹忠夫著「情報の文明学」(中公文庫)だ。著者の「情報産業論(1962年)」には「人類の産業史は、いわば有機体としての人間の諸機能の段階的拡充の歴史であり、生命の自己実現の過程である」とある。人類の産業の発展は、コーリン・クラークの「一次産業→二次産業→三次産業」やアルビン・トフラーの「農業社会→産業社会→情報社会」という西欧的進歩史観(直線的時間観)ではなく、地球上に生じた原始生命が「内胚葉→中胚葉→外胚葉」と進化(変化)してきた流れの中にある。「現代の情報産業の展開を、きたるべき外胚葉産業時代の夜明けの現象と評価することができる」と、著している。なんと1962年の論文なのだ。「いのちの自己実現」といっているのだ。
 「未来を読む」の著者は西欧の碩学、やはり人間中心主義から未来を読んでいるように思える。岩井克人は「生物的実体」は遺伝子情報として個から個へ世代を超えて伝わっていく、そして社会的実体は個々の個体とは無関係に、社会的存在として、引き継がれていくといっている。社会的実体は、社会的遺伝子によって引き継がれていくといってもいいだろう。生物的遺伝子の二重螺旋構造は、さらにこの社会的遺伝子との二重螺旋構造になっているともいえる。
 生物的遺伝子情報は近年の遺伝子情報解析によれば、35億年の昔、生命誕生の初めから現在まで進化(変化)のすべての遺伝子情報が書き込まれているという。とすると、人間そのものが梅棹忠夫のいう「いのちの自己実現」の過程にあることになる。
 35億年「すべての生命は有機体であり、その生死は自然の法則に従っていた」しかしハラリは「有機体の生命は、無機体の生命に置き換わるかもしれない」という。人間の存在そのものが「いのちの自己実現の過程」だ、とすると、それは自ずから導きされる方向なのかもしれない。レイ・カーツワイルの予言「2045年、シンギュラリティ」が起きるかもしれないのだ。「それが個々の人間にとって、バラ色の未来につながるかどうかは別問題である」。是非「未来を読む」書店の店頭で確かめて、己れの未来と重ねあわせてみてはいかが。

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