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2018/10/27

<「自己責任」と「自己の責任」と>-己れの命は己れで守る-

20181027

ジャーナリストの安田純平さんの救出劇を巡って、またまた「自己責任」なる言葉がマスコミやSNS上を飛び交っている。この言葉を流行らせたのは、小泉・竹中政権だったと記憶しているのだが。

 15年前の2003年8月10日還暦記念にと、赤いちゃんちゃんこを持参して北アルプス裏銀座を縦走した。照れくささも手伝って山頂で三脚を立て、いそいそとちゃんちゃんこを纏ってカメラの前に立った己れを思い出す。初日の烏帽子岳の山頂に真新しい少し華奢な鎖が垂れ下がっていた。鎖の前に立て看板がある。「岩がもろいので『自己責任』で」と書いてある。当時「自己責任」の言葉は反射的に時の大臣竹中平藏さんの顔が浮かんでしまう。「むっと」して思わずシャッターを切った。山小屋に入ると食堂にも「自己責任」の張り紙がある。さらに「むっと」して、泊まるのをキャンセルして、次の山小屋まで3時間歩いた。着くころにはすでに日没が迫っていた。

近年我々高齢世代の登山者が増え、高齢者の遭難事故のたびに「自己責任」なる言葉が飛び交う、登山はいかなることが起きようと「自己の責任」に決まっている。自然の中に溶け込むのだから。たとえこの鎖が切れたとしても、落石に遭遇したとしてもだ。

ところが帰宅してパソコンに取り込んだ写真を整理していると、ちゃんと下の句があるではないか「『自己判断』で上下山してください」と。そうだ、これが「自己責任」の本来の意味だ、と思った。「己れの命は己れで守る」これが大自然の掟、大自然の法則、サバンナのシマウマだって守っている。守れなければ己れの「死」あるのみ。

今のところまだお世話になる事態に陥ったことはないが、万一遭難救助のお世話になったからといって「自己の責任」を果たしていなかったことにはならない。登山口で「己れの命は己れで守る」と覚悟をして第一歩を踏み出しているのだ。「助けてくれなかった!」、「岩が脆かった!」「天候が悪化した!」「装備が不十分だった!」と過去に向かって言い訳してもはじまらない。登らなかったことにはできないのだ。万一遭難して救助されたら、「感謝」「感謝」感謝あるのみ。「地獄の沙汰も金次第」という諺もある。昔と違って今は山岳保険もある。事前の山岳保険がせめてもの「自己の責任」だ。

このとき「自己責任」なる言葉は他人に浴びせる言葉、「自己の責任」は、「己れの命は己れで守る」と、己れの心に刻む言葉なのではないかと思った。「自己責任」は勝ち組が他者に浴びせる言葉ではないか。勝ち組とは強者から「慈悲心」を取り去った者のことではないかと思考の整理をした。ライオンだって満腹のときは、シマウマを襲わないし、瞬発力、短距離には強いが、持続力、長距離には弱いという慈悲心をもっている。

小泉・竹中政権以来「自己責任」「自業自得」と声高に叫ぶ人が多くなったように思う。格差社会が広がっているというのに、不寛容な勝ち組が増殖しているようにも思える、人間特有の不思議な現象だ。シマウマは弱いからこそ群をつくり、群に紛れて己れの身を護るのに。

立て看板の「自己の価値観」「自己の責任」「己れの命は己れで守る」を肝に銘じて生きよう。弱者の己れの残り少ない下山路なのだから、とこのときあらためて自戒した。

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