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2018/11/05

マイケル・ムーア監督映画「華氏119」を観て。

いよいよ明日はアメリカ中間選挙。112日公開初日にマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏119」を観た。20年後の日本社会の姿を暗示しているようにも観える。変化のスピードを考えるとさらに10年は早まるのかもしれない。映画で強く描かれていたことは、ブッシュ親子、トランプといった共和党政権、クリントン、オバマといった民主党政権、保守とリベラル、赤と青と区分けされていたはずの政権の活動資金の出所が同じだということだ。これがアメリカ社会の格差を広げてきた大きな要因だと映像は訴えている。リーマンショック直後ブッシュ政権からオバマ政権へ、共和党から民主党へ政権が移行した折、政権交代のはざまで7兆米ドルの資金が巨大金融機関の救済に投じられていた。当時からすでに語られていることではあるが。

日本でも野党であるはずの立憲民主党も明確に保守を標榜し、地方選挙でも与党、自民・公明両党の推薦候補者に相乗りする形で、その旗幟を明らかにしている。弱者である庶民の立場に立った政策を掲げる政党は共産党以外に見当たらなくなっているようにみえる。分断は一本の線ではなく、溝からゾーンへ幅を広げ、深さを増し、さらに多様に縦横に広がっていくのだろう。
  今話題の外国人労働者受け入れの問題も、積極的に移民を受け入れる方向へ向かっている。派遣労働・非正規雇用の制度化も1980年代半ばからずっと切れ目なく続いている一本の流れだ。これによって、来春以降日本人労働者の賃金低下の流れはさらに勢いを増していくことだろう。
 
なぜに分断線は多様に引かれ、幅を広げ、溝を深めていくのだろうか。今春公開された映画「空海」の原作「沙門空海唐にて宴す」の中で著者夢枕獏さんは、空海の口を借りてこう語っている。「言葉は器だ」、「この世で最も大きなものも、最も小さなものもすべてこの器に収まってしまう」と。
 
とすると、人間が言葉で思考し行動する、論理的合理的思考で動いていく“この世”では、言葉の器に盛ることのできない「ものごと」は眼には見えないし意識化されないものだから自ずから無視されてしまう。そして、貨幣(お金)も器なのだ。貨幣経済の発達で、あらゆるものが貨幣(商品)化されていく、就活、婚活、終活、等々と。そして貨幣化されない「ものこと」も意識化されないまま自ずから無視されてしまう。
 
この言葉という器、貨幣という器を使い熟せば、熟すほど、この器からこぼれてしまう「ものこと」が増えていく、この器からこぼれていく「ものこと」が分断の溝の正体なのではないか。カミュが小説に描いた「不条理」の正体もこのこぼれていく「ものこと」の溝に落ち込んでいく人びとの想いなのかもしれない。この世という不条理の世界を如何に生きるか。それも「That is the question」なのだろうか?

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