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2018/11/24

「全体と個」の絶対矛盾的自己同一からみる日産の今日的問題

201811224 「経営とは何か?」を学ぶ若い方々にとって、今日の日産の経営問題は、格好のそしてなにより生々しい生きた教材だ。それだけに、カルロス・ゴーンさんの金銭に関わる個人的なことがらを善悪や好嫌といった二元論的視点に囚われない俯瞰的な視点が必要に思う。


1.「いのちの活き」

 「いのちの活き」は生物固有のものではなく、家族、部族、民族、国家といった人間が集う集団にも、集団を構成する個の命とは別の、集団固有の「いのちの活き」がある。だから企業には企業固有の「いのちの活き」がある。日産の今日的問題も「日産のいのちの活き」という視点から凝視する必要があるし、そこが経営的課題ではないかと思う。

.「全体と個」の絶対矛盾的自己同一を生きる
 201811224_4
図(1)(2)に企業固有のいのちの有り様を絵にしてみた。森羅万象の宇宙から言語によって意識化されたものが現世とかこの世と語られる人間世界(生物としての人間のいのちの活く場)だ。経済学者にして哲学の人岩井克人さんは著書「資本主義から市民主義へ」の中に「人は生物的実体と社会的実体の二重性を生きている」と著している。西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」、鈴木大拙が晩年紡いだ言葉、大乗仏教の原理「即非の論理」を借りて言い換えれば「人のいのちの活き」は生物的実体と社会的実体の絶対矛盾的自己同一を生きていると言い換えるこができる。(詳細はhttp://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2018/01/post-f754.html

 この社会的実体の一つとして、株式会社(法人)という固有の「いのち」が誕生した。株主(資本)・経営者・従業員・取引先・顧客といった、それぞれの個としての「いのち」を包み込んでいる。より大きな全体からそれらが重層的に重なった中心が企業のいのちの活きだ。企業のいのちは重層した“今ここ”の個々の固有のいのちの関係性を絶対矛盾的自己同一として、企業固有のいのちを生きている存在なのだ。関係している個のいのちは森羅万象(宇宙)のいのち、人間世界のいのち、企業固有のいのちという全体に包まれている。
 
この図(1)の中心を五月の空の鯉のぼりに見立てて、そっくり裏返しすると図(2)のようになる。企業固有のいのちに森羅万象(宇宙)のいのち、現世(言語世界)のいのち、国家、民族のいのち、といった全体のいのちが包まれている。「全体と個」の関係は、「全体は個を包み、個は全体を包む」という絶対矛盾的自己同一なのである。ここにいう「全体」は同じ言葉でも全体主義の全体とは似て非なるものだ。全部は個を部分として包むが、部分は全部を包まない。だから全体主義(ファシズム)は正確には全部主義といったほうが本質を表している。
3.“今ここ”の関係性を生きる
 鯉のぼり
に譬えた図(1)(2)の中心、「全体と個」の相互に包み合う中心を風が吹き抜けて鯉のぼりを活き活きと五月の青空に泳がせている。この眼に見えない風こそ「いのち」の正体だ。風が止んだら、鯉のぼりはたちまち泳ぐのをやめ、だらりとぶら下がってめざしのように死んでしまう。
 
ひとは、この“今ここ”の関係性という絶対矛盾的自己同一を生きるために、この中心を自己(自我)という眼に見えない存在を立ち上げて主体性の拠りどころとして生きている。企業も企業としてのいのちを活かせていくためには主体性の拠りどころを必要とする。
 大乗仏教では「生死一如」というが、これも「生即死」、「生」と「死」は絶対矛盾的自己同一だ、といっている。日産は20年前、日本の資本、日本人の経営者という個のいのちを捨てて、ゴーン(ルノー)さんを主体性の拠りどころとした。あの日あの刹那に生まれ変わっていたのだ、フランス由来の新しいいのちとして。
4.資本も固有のいのちを生きている
 資本も資本固有の「いのちの活き」を生きているのだが、長年株式持ち合いで、「資本のいのち」を封殺してきた日本の企業人はそのことに少し疎かっのではなかろうか。
 今日改めて「日産のいのち」としての”今ここ”の関係性を図(2)に映して俯瞰的にみつめるとき、日産のいのちはどのように変わっていくのか、再び生まれ変わることができるのだろうか。フランス国の固有のいのちも日本国の固有のいのちも、共にこの日産のいのちの活きとして生きていることを片時も忘れることはできない。はたして日系のいのちとしてふたたび生まれ変わることはできるのだろうか。「Reborn-日産!」絶望的な切所に差し掛かっている。
 因みに貸借対照表の借方(左)の資産を成り立たせている「いのちの活き」が貸方(右)の資本だ。資産と資本も「資産即資本」として企業のいのちとして、絶対矛盾的自己同一を生きている。

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