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2020/03/02

「岩井克人『欲望の貨幣論』を語る」

書 名 「岩井克人『欲望の貨幣論』を語る」
著 者 丸谷俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班
出版社 東洋経済新報社
Image_20200302095901thumb12020年3月5日時宜を得た一冊がでました。リーマンショックから12年、久々の世界同時株安がやってきた、今この時に。今回の暴落は「新型コロナショック」とでも命名されることになるのでしょうか、それにはしばらく日時を要するのでしょうが、そうなっては、新型コロナにしてみれば迷惑至極なことでしょうね。「因」はお前たち人間の内にあり、俺は「縁」にすぎないと。
 貨幣論というとちょっと手元から離れて冷めて眺めてしまいますが、「欲望の"お金"論」と身近に引き寄せて読むと、個々人のこれからの生き方にも関わる意義ある一冊になるのではないでしょうか。2017年から続くNHKドキュメント「欲望の資本主義」今年は四年目、年頭に「欲望の資本主義2020」が放映されています。毎々登場する経済学者にして哲学の人岩井克人さんの発言が確かな語りで耳目に残ります。ここから生まれたのが本書です。
 岩井克人さんの貨幣論の本質は、「貨幣とは貨幣であるから貨幣である」にあります。デカルトの「我思う故に我あり」そして「神は、信じるから存在する」とも通じる、自己循環論法です。米ドル紙幣の裏面に「IN GOD WE TRUST」と印字されている所以にも繋がっています。
 岩井克人さんは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスはすでに資本主義の今日を予言していたといいます。アリストテレスは人と人との間の交換の手段として生まれた貨幣、「善く生きるという『目的』のための『手段』」として生まれた貨幣がそのまま「手段」と「目的」との逆転が起きるというのです。「手段の目的化」の自己循環の始まりです。言葉を操る人間は未来の存在を知り、未来に生きようと欲して夢を見る、夢とは欲望の姿形でもあります。
 「夢は実現する!」と姿形のないもの、永遠の逃げ水を夢と名付けて追い求め、さらにその手段として貨幣を欲し、終には貨幣そのものを目的化してしまいます。
 個人の欲望には限度があります。それは死があるからです。それは貧しい農民から身を起こし天下を取った太閤秀吉の辞世の短歌「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは夢のまた夢」にも明らかです。ですが人間という普遍の存在の欲望は個の死を乗り越え、乗り越えて人類ある限り無限に自己循環的に増殖していきます。
 その貨幣に仮託された人間の欲望の自己循環的増殖の行き着くところはハイパーインフレーションという破局でしかない、と岩井克人さんはいいます。その言語由来の自己循環的増殖の破局を制御できるとすればそれは、同じ言語由来の倫理、カントの倫理を真理とする市民社会の構築が必要だと説いています。カント哲学(定言命題)には「汝自身、そして他者をも、同時目的として扱い、手段としてのみ扱ってはならない」「人間は尊厳を有している決して目的のための手段としてはならない」とあります。「汝自身をも!」です。
 「お金を獲得することを目的として、他者はもちろん、己れ自身をもそのための手段として供してはならない」といっているのではないでしょうか。歯に衣を着せずにいえば「お金を目的に働くな!」「利潤を目的に経営するな!」、「お金」も「利潤」も、「より善く生きる」ための”手段”であって”目的”ではないのだと。
 西田哲学の初めの一書「善の研究」には「『善』とは、自他相忘れ、主客相没する境地」とあります。己れと他者の分別を忘れる境地、カントの定言命題と通じるところ大です。
 今横浜港に係留されている大型クルーズ船そのものがグローバリゼーションの象徴的存在であり、そこに封じ込められることを拒む新型コロナウィルスの蠢動もグローバリゼーションの象徴であり、いのちの活きの象徴といえるのではないでしょうか。そしてマスクの買い溜め、トイレットペーパーの買い溜めに列をなす人間の形相もまた、グローバリゼーションの現れなのでしょう。そして経済のグローバリゼーションこそ人間の欲望の形相ですから。「因」は己れの欲望の内にあり、と。
 「貨幣はモノとして価値があるわけではない。貨幣とは、それが貨幣として使われているから貨幣としての価値をもつ。法が強制力をもつのも、言語が意味をもつのも、同様です。それだからこそ、貨幣も法も言語も物理法則にも遺伝子情報にも根拠をもたない社会的な実在性をもつことができる。そして貨幣の上に資本主義があり、法の上に国家があり、言語の上に人間の文化のすべてがある。それらを支える根拠は純粋に形式的な自己循環論法でしかない。自らの根拠を自ら作り出しているだけなのです。」岩井克人さんは、著書「資本主義から市民主義へ」の中でこう語っています。
 人間の存在は、生物的実体と社会的実体の絶対矛盾的自己同一ではないか、だからそのど真ん中にカントの定言命題を絶対の真理とせよ、と語っているのではないでしょうか。
Photo_20200302111401
<今読む「資本主義から市民主義へ」岩井克人著」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2014/12/post-9c3f.html
<岩井克人著「貨幣論」を読む(1)「純粋紙切れは信頼が命」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2007/05/post_8446.html
<岩井克人著「貨幣論」を読む(2)「日本への奇襲攻撃」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2007/05/post_4348.html
<岩井克人著「貨幣論」を読む(3)「ものの側からの反乱」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2007/05/post_ecb1.html
<岩井克人著「貨幣論」を読む(4)「第二の敗戦記念日」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2007/05/post_a625.html
<岩井克人著「貨幣論」を読む(5)「ヨーロッパの自立」>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2007/05/post_736b.html

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