« 書名「新装版 場の思想」清水博著<7日間ブックカバーチャレンジ第五日> | トップページ | 書名「エンデの遺言」河邑厚徳+グループ現代著」<7日間ブックカバーチャレンジ第七日> »

2020/05/16

書名「資本主義から市民主義へ」岩井克人著<7日間ブックカバーチャレンジ第六日>

<7日間ブックカバーチャレンジ第七日>
書 名 「資本主義から市民主義へ」
著 者 岩井克人
出版社 ちくま学芸文庫
初 版 2014年4月
Jpeg_20200516140901  昨今の新型コロナウィルスパンデミックへの対策では、だれしも「経済よりも命が大事」といいます。ではその直前まで東京五輪金メダルのためにマラソンの記録たった0.1秒に一億円を賭けてテレビの前で固唾を呑んだ日本人の姿は何だったのでしょうか?。そして一人一人の身体の中をお金が変態しつつ流れていることを知らないはずはない、知らずに済ますことはできないのですから。
 二元論で一瞬のうちに右左に振りきってしまわないで「経済とは何か?」「命とは何か?」と経済と命の「あいだ」を考えておくことはポスト・新型コロナ社会を生き抜くよすがになるのではないでしょうか。
 世界の中央銀行は、リーマンショック対策をはるかに越える通貨(お金)を大増発しています。「いくら増発しても財政破綻することはない」と、日本でも政治家、官僚、企業人の間に、俄かにMMT信者が増えています。本当でしょうか?、自分自身の眼で確かめておく必要がありそうです。後々聖書MMTの「せい(責任)」にしないために。
 経済学者にして哲学の人岩井克人さんの明快な語りに耳を傾けてみてください。経済のベースは貨幣(お金)です。
 著者の貨幣論はいたってシンプル、貨幣それ自体に価値があるわけではない、「貨幣は貨幣だから貨幣である」といいます。神の存在「信じるから存在する、存在するから信じる」と同じ論法、自己循環論法の産物だというのです。労働価値説を信じたい人間の純な心もバッサリ一刀両断。
 著者の貨幣論を知ったとき「そうか貨幣とは浮遊霊なんだ」、ひたすら自己増殖し、ひとやものに取り憑き、精気を吸い尽くしていきます。それなら己れも安倍晴明になるか、耳なし芳一に倣って般若心経を全身に書き込んでおかなければ、と思ったものでした。心なし芳一にならないように、心にも書き忘れないようにしなければ、と。
 労働価値説も佐々木閑のいう「神の視点の痕跡」かもしれませんね。神が造った人間の労働によって造られたものですから価値があるはず、と信じたい。ところがその神すらも、信じなければ、存在しない存在なのですから。貨幣は他人が受け取らなくなったら一瞬にして紙切れになってしまうのです。このことは聖書MMTには預言されているのでしょうか。
 バブル崩壊のたびに「資本主義は崩壊する」という人が沢山でてきます。著者は、「資本主義とは差異を見つけて均していく、世界を均一化することで生きている」といいます。昔流行った任天堂パックマンのような存在なのかもしれません。「世界の国々からなけなしの微かな差異までも吐き出させ、喰い尽くしていく」と。
 その差異を媒介するものが貨幣の存在ということなのでしょう。コロンブスによるシルクロードの交易からベニスの商人のイスラムとの交易、果ては西欧帝国主義国家による、植民地からの収奪さえも「空間的差異」「労働時間差異」の収奪なのだ、と。
 リーマンショック、新型コロナショックとショックのたびにショック療法として世界の中央銀行から通貨(貨幣)が大増発され、それが世界の隅々まで差異を食い尽くしていくとなると、ポスト新型コロナ社会は国家と国家、人と人の「あいだ」の差異を漏れなく食い尽くし、とめどなく格差を拡大し、格差社会を深化していくことになるのでしょう。
 言葉によって貨幣を創り出し、言葉によって欲望を意識化し、意識化したものを食い尽くしていく永遠のパックマンが人間という「生きもの」。否、宇宙創世以来の「いのちの活き」そのものが自己増殖(デリバティブ)という方向性をもったものなのですから。
 幸い哲学者でもある著者は「市民主義」という処方箋を用意してくれています。欲望の自己増殖を制御する倫理としてカントの定言命題を市民憲章とする市民主義です。
 是非著者の慈愛の経済学に触れてポスト・コロナ社会を考える一助にしてはいかがでしょう。しかしこの倫理さえ言葉という自己循環論法の産物であることを忘れるわけにはいきません。
 アウシュビッツ絶滅収容所から奇跡的に生還したV・E・フランクルも著書「それでも人生にイエスと言う」の冒頭にカントの定言命題をおいています。「汝自身、そして他者をも、同時目的として扱い、手段としてのみ扱ってはならない」「人間は尊厳を有している。けっして目的のための手段として扱ってはならない」と。
 しかしその尊厳を有している人間の安定を求める実体経済。人間はその根底でもある貨幣を通して永遠の自由を求めるが故に、実体経済を不安定にし、日々地獄の落とし穴を掘っているという矛盾に気づかねばならないのでしょう。

<そこはかとない不安はどこから>

<資本主義から市民主義へ>
【目的】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ
●参加方法は好きな本を1日1冊、7日間連続投稿する
【チャレンジのルール】
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

|

« 書名「新装版 場の思想」清水博著<7日間ブックカバーチャレンジ第五日> | トップページ | 書名「エンデの遺言」河邑厚徳+グループ現代著」<7日間ブックカバーチャレンジ第七日> »

コメント

<国家(法)・資本主義(貨幣)・市民主義(倫理)>
 国家は法に、資本主義は貨幣に支えられ、人間の文化のすべては言語に支えられている。その言語・法・貨幣は偶然発派生(デリバティブ)し、デリバティブを繰り返し増殖していきます。著者はこの貨幣、法という器からこぼれ落ちてしまうものを掬い上げる器として倫理を一つの器として加えた市民主義が必要だと,説いています。その倫理の器が「カントの定言命題」だ、というのです。
<資本主義から市民主義へ>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2014/12/post-9c3f.html

投稿: 明賀義輝 | 2020/05/16 14:15

<生物的実体と社会的実体の絶対矛盾的自己同一>
生きものは、空間的に「身体」、時間的に「いのちの活き」という不可分の二重性という生物的実体を生きる存在です。
 さらに人間は今日まで、偶然派生(デリバティブ)した言語から、宗教、貨幣、法、文化をも次々と派生してきました。この言語由来の派生ぶつを著者は社会的実体と名づけています。
 人間は生物的実体と社会的実体の二重性、絶対矛盾的自己同一を生きている存在だというのです。生物的実体はヒトゲノムによって個体から次代へ継承されていきますが、社会的実体は生物的実体とは無関係に直接次代へ継承されていきます。そこに人間社会の悲喜劇の根源があるのではないでしょうか。
<そこはかとない不安はどこから>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2018/01/post-f754.html

投稿: 明賀義輝 | 2020/05/16 14:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 書名「新装版 場の思想」清水博著<7日間ブックカバーチャレンジ第五日> | トップページ | 書名「エンデの遺言」河邑厚徳+グループ現代著」<7日間ブックカバーチャレンジ第七日> »