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2020/05/16

書名「時間と自己」木村敏著<7日間ブックカバーチャレンジ第三日>

<7日間ブックカバーチャレンジ第三日>
書 名 「時間と自己」
著 者 木村敏
出版社 中公新書
初 版 1982年11月
Jpeg_20200516133101  精神病理の臨床医であり哲学者の著者は西欧の精神病理学を臨床しながら、西欧由来の精神病理学だけでは日本人に適合しないところがあるのではないかと考え、西田哲学を取り入れたら日本人ひいては東洋人ひいては人類に共通する東西融合の精神病理学ができるのではないかという仮説から西田哲学を取り入れた方です。 
 いつの頃からだろうか、それほど過去のことでもないと思うのですが、「ものからことへ」。だから「ものづくり」から「ことづくりへ」と語る方がとても多いように感じます。
 しかし「もの」とか「こと」と二元論の言葉の連発からはなにも見えてこないのではないでしょうか。一度”ものとは””こととは”と一つ一つ言葉の意味を吟味しないと本質はなにも見えてこないように思います。どこか、成長を止めた日本の行き詰まり感が日本の成功は「ものづくり」だった、だから、成功体験を捨てて「ことづくり」といっているように聞こえます。1985年(プラザ合意)以前の日本企業は本当に「ものづくり」で成功したのだろうか。
 2018年に上映された映画「KU-KAI」の原作者夢枕獏は原作「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の中、妖怪との問答を通して、空海に語らせています。「この世で一番大きなもの、それは言葉」「この世で一番小さいもの、それも器」と。そして「いかなる大きさのものも言葉で名づけることのよって言葉という器の中におさまってしまう」というのです。
 美醜も、大小も、剛柔から善悪もすべては人間に属性を有つ言葉だから、この宇宙にはない、と。人間の世界、現世は言葉でできている世界だといっています。だからこそ、救うたびに器からこぼれてしまう「何か」があることを自戒しなければいけないのだろう。しかし、いかに自戒しようとも永遠に掬えない何かがあるのです。
 「ものとは?」「こととは?」を問い直すことは「言葉とは?」を問い直すことでもあります。
 本書の第一ページが「第一部こととしての時間」そして「1.”もの”への問いから”こと”への問いへ」です。
 そして「”もの”が空間を満たしているということは、われわれの外部の世界についていわれうるだけではない。意識と呼ばれているわれわれの内部空間もやはり”もの”によって満たされている」と著されています。
 さて空間を満たす「もの」と意識の内部を満たす「もの」とはどこが同じで、どこが違いうのでしょうか?
 多くの識者がポスト・新型ウィルスの社会は価値観の変容が必須だと語っています。とすれば本書も価値観変容のための価値ある一冊になるのではないかと思います。
【目的】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ
●参加方法は好きな本を1日1冊、7日間連続投稿する
【チャレンジのルール】
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

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コメント

本書のタイトル「時間と自己」は今西錦司の「生物は空間的に構造的、時間的に継起的存在である」と通じています。「構造即機能」です。そして「有即時」として、道元の「我有時」とも。
 「ものこと」は「もの即こと」であり、「ものとこと」の「あいだ」が「自己」、「自己」とは、自我ではなく「真の自己」のことです。
 二元論で切り分けると空海のいう「器からこぼれ落ちている何か」、そして「夢を見ているだれか」が忘れられてまうといっているのではないでしょうか。
 そこに「あいだ」の意味、「と」の意味、「即」の意味が込められていると思います。
 生きものとしての人間も、もの的に身体的であり、こと的にいのちが活いていること、「ものとこと」の存在といっているのではないでしょうか。
 やはり「ことづくり」ではなく「ものことづくり」と丁寧に言葉にしたいですね。

投稿: 明賀義輝 | 2020/05/16 13:39

本書あとがきにこう著されています。
「夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じ取っているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時のあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい、そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持ち主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれかが」夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の持ち主は、死という名をもっているのではないのか。」と。

投稿: 明賀義輝 | 2020/05/16 13:38

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