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2026/02/14

<「自己の責任で!」-自分の未来は自分でつくる外に道はない!->

2026年2月9日
 時代の転換の刹那の今を見ているのだきっと。1943年満州ハルピンに生まれ、母親に連れられ内地に辿り着いた。焦土と化した東京、焦土と化した下町板橋。紙一重、かろうじて残留孤児になることなく、かろうじて戦災孤児になることもなく、か細い曲りくねった道を一歩一歩、歩き「国力の盛衰80年」をなぞるように生きてきた。時の流れは不可逆だ。
 明日は今日になり、今日は昨日になる。こんなとき、M・トウェインの言葉を思い出す。「歴史は繰り返さない、が、”韻”を踏む、」と。戦前に戻るわけではないが今の日本社会は、まさに「韻」を踏んでいる。
 夢に出てきた杜子春の夢、地獄に落ちた自分が馬になって鞭打たれ使役されている。眼が覚めると確かに尻が痛い。頬をつねってみた、やっぱり痛い。
 ”結果”はいつも未来のどこかにある。自民党が歴史的大勝を果たした今回の衆院選の未来の”結果”はいかなる姿になるのだろうか?。
 個々の一人ひとり、想像をたくましくするしかない。未来にいって、「自己責任」と後ろから蹴飛ばされる前に、刹那の今「自己の責任で!」。
 冥土から「己れのいのちは己れで守る、外に道はない!」とシベリア抑留者の親父の声が聞こえてくる。空耳か?。
<日本社会のこれから-不可逆な時の流れの向こうに?->: ともだちの友達はともだちだ!
<日本の国力の盛衰80年と2025年以後の日本>: ともだちの友達はともだちだ!
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<第二次高市政権が誕生した!-責任とは?結果は未来のどこかで=>

2026年2月9日
 第二次高市政権が誕生した。選挙の前の公言が耳に残響している。
①「責任ある積極財政」、②「無責任な減税はしない」と。言葉は便利だ、発した言葉の奥には遡れないから。日本語も便利だ、主語が曖昧だから。
 ①の責任の主語は誰、②の責任の主語は誰。一人の口から発した責任だから主語を揃えて高市早苗総理大臣とすると。①は「私が責任をもって積極財政をおこなう」、②は「私の責任において減税はしない」と僕には聞こえる。
 そして時の流れは未来から過去へと流れているのだから”結果”はいつも未来のどこかにある。そこの場で”結果”を引き受けるのは未来の国民、個々別々の一人ひとりの国民だ。①と②の主語の人ではない。”結果”が現在になったとき、言葉はすでに過去のどこかに消えている。
 だから今、刹那の今、「To be or not to be that is the qestion」なのだろう。今の生き方を続けるのか?、今の生き方を変えるのか?、と。個々別々の一人ひとりが刹那の今問われている、と僕は思う。

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