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2026/02/14

<第二次高市政権が誕生した!-責任とは?結果は未来のどこかで=>

2026年2月9日
 第二次高市政権が誕生した。選挙の前の公言が耳に残響している。
①「責任ある積極財政」、②「無責任な減税はしない」と。言葉は便利だ、発した言葉の奥には遡れないから。日本語も便利だ、主語が曖昧だから。
 ①の責任の主語は誰、②の責任の主語は誰。一人の口から発した責任だから主語を揃えて高市早苗総理大臣とすると。①は「私が責任をもって積極財政をおこなう」、②は「私の責任において減税はしない」と僕には聞こえる。
 そして時の流れは未来から過去へと流れているのだから”結果”はいつも未来のどこかにある。そこの場で”結果”を引き受けるのは未来の国民、個々別々の一人ひとりの国民だ。①と②の主語の人ではない。”結果”が現在になったとき、言葉はすでに過去のどこかに消えている。
 だから今、刹那の今、「To be or not to be that is the qestion」なのだろう。今の生き方を続けるのか?、今の生き方を変えるのか?、と。個々別々の一人ひとりが刹那の今問われている、と僕は思う。

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