<朝ドラ「ばけばけ」から円城塔翻訳の「KWAIDAN」に辿り着く>
<朝ドラ「ばけばけ」から円城塔翻訳の「KWIDAN」そして「Self-Referenc ENGINE」に辿り着く>
久々にNHK朝ドラを見ている、欠かすことなく。毎朝の主題歌は「毎日難儀なことばかり、泣き疲れて眠るだけ、そんなじゃダメだと怒ったり、これでもいいかと思ったり」と始まる。
二番も「日に日に世界が悪くなる、気のせいかそうじゃない、そんなじゃダメだと焦ったり、生活しなきゃと坐ったり」と、僕には、今の日本社会の世相にピッタリはまって聞こえてしまう。とはいえメロディーもドラマも暗いわけではない。朝ドラが暗くては一日がはじまらないから視聴率も落ちていまうだろうから当たり前か?。
主人公ヘブン(L・ハーン)さん。今朝(3/12)、小泉八雲と改名し日本人になった。あらためて八雲の名前が「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに----」と須佐之男命の短歌由来と聞くとヘブンことラフカディオ・ハーンと出雲のそして日本との関わりの運命的なものを感じる。松江の小泉八雲記念館には三度訪れてはいるものの、今年訪れるときはまた違って見えるように思う。
改めて怪談を読もう、折角だから新約でと、円城塔さんが2022年翻訳したものを手にした。まったくの偶然だがこれがよかった。
初めては中学生の頃だったか、?。あの頃はたしか「耳なし芳一」だった。今回求めた円城塔本のタイトルは「ミミ・ナシ・ホーイチの物語」(The Story of Mimi-Nashi Hoichi)になっている。イギリス人の著者が英語で英語圏の人に語った物語だから直訳を心掛けたという。
そしてL・ハーンは物語の最後をこう語っている。「彼は裕福な男となった・・・・しかし、あの事件以来、彼はその異名によって知られることとなったのである。ミミ・ナシ・ホーイチ。つまり『ホーイチ・ジ・イヤーレス』というのがそれであった。」と。
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題名の「Mimi-Nashi Hoichi」では英語圏の読者にはなんのことか意味はわからない。最後に「Hoichi the Earless」と明かされる仕掛けだ。中学生だったか高校生の頃英語の授業で辞書を引き引き英文で読んだ記憶も微かに残っているけれど、雨の夜の平家の落人の鎧帷子の音、平家の怨霊の鬼火の舞、耳を引きちぎられ血だらけになりながら激痛をこらえて冥界へ引きずり込まれる難を逃れた場面だけが心に残っていた。
最後に彼が「裕福になった」という場面はまったく記憶にはない。円城塔訳は角川文庫。新潮文庫の上田和夫訳にも「彼は金持ちになった。しかし、・・・・もっぱら『耳なし芳一』という呼び名で知られるようになった」と語っている。上田和夫訳は日本人向けに翻訳したのだろう、タイトルとのズレは読者には聞こえてこない。翻訳者円城塔の直訳ではホーイチ、シモノセキ、タイラ一族、ミナモト一族と地名も人の名もカタカナにしてある、この意味は深い。
それにしてもなぜ阿弥陀寺の住職は芳一の全身に般若心経を書いたのだろうか?なぜ平家の怨霊に芳一は見えなかったのだろうか?盲目の芳一には怨霊も鬼火も見えないのは不思議ではないのだが、全身に般若心経を書かれる前の芳一は怨霊にはみえていたのだ。
今回上田和夫訳を読み直してみて般若心経はなじみが深く「なぜ般若心経なのか?」と意味を問うことはなかった。
翻訳者円城塔さんはL・ハーンが参照した般若心経はマックス・ミュラーの英訳本だったという、我々日本人が親しんでいる玄奘訳は「色不異空、空不意色」「色即是空、空即是色」と対になっている。その上日本人の間では親しみすぎていて、ついつい後ろの部分の「色即是空」が言の葉にのぼる。
「色不異空、空不異色」・・・形は空虚であり空虚は形である」
「色即是空、空即是色」・・・空虚は形と異なるものではなく、形は空虚と異なるものではない」玄奘訳はこの一対。
L・ハーンが参照したM・ミュラーのサンスクリット語写本からの翻訳では、「形とは何か-----空虚である。空虚とはなにか-----形である」と三段になっている、と、円城塔さんは書いています。
「ハーンの見立てによれば、般若心経が空の思想を説いているがゆえに、ホーイチの体は目に見えなくなるのである。ホーイチは形であるが、形はまた空虚である。ホーイチの体に『この者は存在しない』と書かれているがゆえに、ホーイチの体は『見えない』のである」と。英語圏の読者には魔術的にも思えたであろう。
M・ミュラーは法隆寺のサンスクリット語写本も参照して英訳したというのだから、翻訳によって微妙な差異が出る、というのも興味深い。「目の見えない男が、体に『見えない』と記されることにより、見えない者から見えなくなる話」が語られていることになる」と円城塔さんらしい“自己言及”(Self-reference)な語り口だ。
芳一が琵琶の引き語りで語る平家物語は壇ノ浦に沈んだ安徳天皇をはじめ平家一門の怨霊も聞き惚れてしまった。「幼帝を胸に抱いて船端から跳んだニイ・ノ・アマ---のくだりに差し掛かると聴衆は-----深い哀しみの嘆きに身を震わせると、興奮しては涙を流し-----むせび泣きと嘆きのときは長く続いた。しかし嘆きの声は徐々に弱まり非常な静けさがあとには長く続いて---」とL・ハーンは語っている。平家の怨霊にとって鎮魂の刹那だったのだろう。
平家物語は壇ノ浦に沈んでもなおこの世とあの世、色界と空界の“あわい”に彷徨う平家の怨霊の鎮魂の物語、芳一の琵琶の語りはきっとその役目を存分に果たしたのだ。
そしてその噂を聞いた「貴族たちがアカマガセキまで彼の吟唱を聞きにでかけ、多くの謝礼が支払われた」とL・ハーンは結んでいる。
平家の怨霊の鎮魂が「お金資本」(お金のいのちの活き)の浮遊霊性をも共に鎮魂し、芳一を裕福な男にしたのではないか、と想像するのはいかがだろうか。それゆえ「ホーイチ・ジ・イヤーレス」の異名によって語り継がれることあっても「金持ち芳一」の陰口で語り継がれることはなかったのではないか。
現在も赤間神宮では5月には平家一門の追悼祭、7月15日には耳なし芳一琵琶供養祭も行われているという。赤間が関阿弥陀寺に祀られたはずの安徳幼帝と平家一門の霊が今は赤間神宮の祭神となって“祀り”が“祭り”として再生しているのを小泉八雲は冥土からどんな思いで見ているのだろう。これも明治政府の廃仏毀釈、神道による仏教の吸収併呑のなせる日本的珍事には違いない。どうも、日本の古来からの、神仏習合とはいささか形が違うような。
朝ドラ「ばけばけ」から派生した作家円城塔さんとの出会いのもう一冊の著書がアマゾンから届いた。タイトルは「Self-Reference ENGINE]、「自己言及性駆動装置」とでも訳せばよいのだろうか?エンジンとは人間のことか?。
言語、法、貨幣の自己言及性(Self-reference)のトライアングルでできた人間社会が“自己言及性”であるがゆえに新しい均衡へ向かって、激変しつつある。トランプ大統領は国際法を破り、日本国憲法も揺れている。通貨円も揺れている。円城塔の著書にそのヒントはあるのだろうか?朝ドラ「ばけばけ」から有難い一冊に遭遇した。
自己言及性(Self-reference)とは何か?。日本の“原発安全神話”も“財政破綻は起きない”のも、“成長無くして分配は無い”のも、自己言及性の自ずから然しむところなのだろうから。
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コメント
私は貴殿から過去に私のブログにコメントをいただいたことがある者です。
今も貴殿が素敵な文章を書き続けておられることに脱帽する次第です。
投稿: enkyo | 2026/04/12 13:48