2017/01/02

明けましておめでとうございます(循環の思想と即非の論理と)

<顧客満足の循環>
20170101今年は酉年とあって、葛飾北斎の八方睨み鳳凰図を左端のスタートに置いてみました。
 ヨーロッパ、中東の混迷は深まるばかり、米国のトランプ大統領の就任で、日本を取り巻く政治、経済の環境も穏やかならざるものがあります。
 どう考えてもこのままでは混迷は深まるばかり、安倍政権も「成長!」「成長!」とエンジン全開ですが、おそらく国家の借金(国民が負う)は増大の一途、さてさて行く末はいかに。
 干支は循環の思想の表れ、そろそろ西欧の二元論を離れ、「森羅万象に神宿る」の循環の思想に思いを致す、最後のときではないかと思います。といってもこの図柄既に干支を二回りしてしまいました。((苦笑)

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2015/10/31

バック・トゥ・ザ・フューチャーに見る現在過去未来(2)永遠の遅れと循環

<図2.永遠の遅れの自覚>
Photo_5
3.科学的思考の限界を
 縦軸に「相手中心・自己中心」を加えて4象限にしてみた。ここに言う相手とは他者、自己とは自我である。第一象限の「他者と未来」他者の視点から未来を考えるのが戦略の領域だ。右下の第四象限の「自我と未来」、未来を自己中心的に考えるのが、計画の領域だ。人間の 思考が自己中心になることからは逃れることはできない、それが主語述語という言葉で考える人間の思考の限界なのだから。計画はいかに利他の精神で考えても目標であって目的ではない。自己中心なのだ。 計画と実績に差がでる因(種子)がそこにある。
 「過去と自我」過去を自己中心的に考えるのが第三象限、管理の領域だ。計画と実績の差を「何があったんだ」「誰がやったのか、やらなかったのか」差異という結果から原因を因果論的に探すこと終始する。これはお釈迦様のいう「二の矢を継ぐな」だ。原因(犯人)探しをしても、出てしまった差異は埋まらない。差異を埋めるのは、“今ここ”の現在の行動に託されている。
 「過去と他者」相手中心に過去を見直すのが第二象限、分析の領域だ。実は過去の自分は、すでに他者なのだ。思考の上では対象として扱っているのだから。そこにも思考の主体としての己れが存在する。“今ここ”の一瞬の主体としての己れのみ唯一実在なのだ。いかに客観的に他者の立場で振り返っても、そこに他者であるべき過去の己れが介在する。科学的思考といわれる「Plan→Do→Check→Action」の構造とはこの縦軸に「他者中心・自我中心」横軸を「過去・現在・未来」とする四象限の永遠の循環なのである。計画と実績にズレ(差異)が出て当たり前なのだ。ズレの原因は二つだ。科学的思考には思考の主体としての、主語としての己れと、対象としての、述語としての他者とのズレ。一瞬も留まることのない刹那の時のズレである。すべてはその二つのズレによって循環的に変化していく。「P→D→C→A」のサイクルを回すだけでは。このズレは埋まらない。埋まらないズレは種子として未来へ引き継がれていく。いつか縁に出遭って、芽が出て膨らんで花が咲く。その花が自分にとって都合がいいか悪いかそれは咲いてみないとわからない。

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バック・トゥ・ザ・フューチャーに見る現在過去未来(1)未来はいつも白紙

<図1.未来はいつも白紙>
1 1)自分の未来は自分で作る 
 ロバート・ゼメキス監督の名作映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作のパートⅡで主人公のドクとマーティがタイムマシンデロリアンでワープした未来が2015年10月21日だったことから先週はテレビ報道でも話題が広がった。僕には、パートⅢのラストのドクの言葉が今でも強烈に残っている。独身だったはずのドクが妻子を連れて過去から戻ってくる。先に戻っていたマーティは、驚いてドクを問い詰める。「過去を変えてはいけない、過去を変えると未来が変わってしまう」と言ったのではなかったか、と。
 ドクはこう応える「過去にも行ってみた、未来にも行ってみた。結局、未来はいつも白紙なんだ、自分の未来は自分で作る」と。ドクのこの一言を聞いて、監督が、三部作を通してで伝えたかったテーマはこの「自分の未来は自分で作る」の一言に凝縮されているのではないかと思った。

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2015/07/08

「水とお金のアナロジー」

「水とお金のアナロジー」

5月の講座に若い学部生19名が参加してくれました。冒頭にこの講座のテーマ「ビズネス感性を磨く」手始めは「会計リテラシー」そのさらに手始めにと「お金と水のアナロジー」の話をしました。

 経済学者にして哲学のひと岩井克人さんは”人間”は生物的実体と人間的実体の二重構造になっていると喝破しています。前者は“遺伝子”によって継承されていく。後者は”言語・貨幣・法”によって形作られていくので、生物的実体の生死とはかかわりなく社会的実体として継承されていく、後者はミームの一種なのでしょう。

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2015/03/08

「大塚家具の『父』VS『娘』の微笑ましくも激しい闘い」に想う

 3月6日薄日さす八甲田山の林立するモンスターの間を歩きながらふと思った。大塚家具の「父」と「娘」のマスコミに現身を晒して闘う姿を羨ましく、また美しいと。見事なまでに美しい樹氷のモンスター振りに誘われたのだろうか。八甲田のモンスターは青森トドマツが、日本海から太平洋に向かって吹き抜ける暴風雪に晒され氷や雪がついて育ったものだという。

テレビ報道の「父」と「娘」の闘いを父娘の醜い骨肉の争いと見ている方が多いように思う。マスコミの論調も概ね大同小異だ。中には「経営権を委譲した時、同時に株式を委譲しておかなかったことが原因だ」と語る経済評論家の姿もある。これはいつもの、現在の姿から過去に原因を求める、因果論的経営論の間違いだ。経営とはそれほど単純なものではないと僕は思う。

古を辿れば武田信玄は若くして父信虎を隣国今川領へ放逐している。以後父信虎は終生甲斐の富士を仰ぎ見ることはなかった。それでも今川家を通して養護料を送っていたのだ。わずか17才で家督を継いだ伊達政宗は畠山義継との和議の折隙をつかれ父輝宗を捕虜にされてしまうが、政宗は間髪を入れず、畠山義継もろとも父を鉄砲で撃ち殺したと語られている。お二人共その後は実弟をも殺している。父としての信虎、輝宗は冥土からその後の領国の繁栄を元国主として微笑ましく見ていたのではあるまいか。戦国の世の領国経営の習い、会社経営にもそんな一面もあるのではないか。
 

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2015/01/01

明けましておめでとうございます。

    <顧客満足の輪廻>
20150101
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 栃木は今年も穏やかな元旦になりました。皆様にとって、健やかな一年になりますよう祈念申し上げます。
 今年は干支の七周目、最後の一周が始まります。
 昨秋の黒田マジック第二弾、消費税実行の予告と思ったら、何故か消費増税先送り解散で新年を迎えました。二度にわたる師走の総選挙の流れの意味するところはなんなのかそこはかとない不安に包まれる新年です。昨年に続き「ひたすらの平和」を祈る元旦です。
FRBのQE3の後を追って、今年は黒田マジック第三弾があるのではと市場では予想をしていますが、さてその後は?
 なんだかアベノミクスは消費税が3%上がっただけ、それ以外はこの一年止まっていたような、と思うほど一年前の“今ここ”にいる心境になります。ということで、一年前のご挨拶も。

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2014/04/24

経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識

<経営体験に観る「今ここ」(4)意識と無意識>
 人間の心には意識的自己(自我)と無意識的自己があります。経営体験の間、多くの方は「『私が』カードを引いている」と思っています。この「私が」が意識的自己、自我ともいいます。天動説(自己中心思考)から逃れられない原因が、自己がこの「私が・・・」という意識から始まっていることにあります。前回書いた「流離う心」、流離うのはこの意識的自己です。

その「私が」に先立って無意識的自己があるというのが西欧ではフロイト、ユング、アドラーに代表される深層心理学です。さらにその無意識的自己の生じる一瞬手前にあるものを西田幾多郎は「善の研究」の冒頭で「純粋経験」と命名し、「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」、と語っています。西田哲学の始まりのはじまりです。お釈迦様の云う「因縁生起」の関係性が生じる瞬間のことです。

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経営体験に観る「今ここ」(3)”今”と”ここ”は分けることはできない

 <経営体験に観る「今ここ」(3)“今”と“ここ”流離う心>

  古代の人々は、地平線から昇る太陽の神々しさに「神」を観、「生」を観、夕日が沈み、あたりが闇に包まれるのを感じて「死」の意味を悟ったのでしょう。「今ここ」は常に不可分にして一つでした。ところが人間は時計を発明し、“時”を測ることに成功し、時空から分離してあたかも“時”が独立して存在するかのように意識するようになりました。日の出から日没、翌朝の日の出と、一日はまだましなのですが、均等に24時間、60分、60秒とあたかも時は均等に同じ長さで過ぎてゆくかのごとく意識し、「ここ」から意識(心)が飛ぶことを覚えてしまいました。 

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2014/03/23

経営体験に観る「今ここ」(2)”今”と”ここ”

<経営体験に観る「今ここ」(2)“今”と“ここ”>
 
 「今ここ」の“今”は時、“ここ”は空間、ということは「今ここ」は時空のことです。英語ではSpaceTimeとかTime&Spaceというのだそうですが、宇宙空間を表す言葉です。ですから“今”と“ここ”は分けることはできないのです。経営体験では、カードを引いた瞬間の時空のその一点に立ち現れる関係性が“今ここ”です。

その“今ここ”の関係性は、先に書いたお客様、不確実性、己の意志との関係性だけではなく残り5人の経営者、6人の会社盤、囲んでいるマーケット盤、傍らに控えている我々講師達もひっくるめた全体の関係性のことです。宇宙空間の中の「今ここ」の一点と眼にみえない無限の関係性の糸が伸びて一つの時空(小宇宙)を構成しているのです。

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2014/03/20

経営体験に観る「今ここ」(1)カードは時の表象

<「今ここ」の関係性>
20140320

マネジメント・ゲームのコンセプトは「みえないものをみえるように」です。まずヒト、モノ、カネといった眼にみえる経営資源をミニチュアにしています。さらに大事なところは、研究開発、広告、保険、顧客満足(CS)等々眼に見えない経営資源である、情報資源をも丸チップにすることで眼にみえるようにしています。そしてそれらを収容する企業という大きな器を縦18センチ横25センチの会社盤に納めてして、ひと目で見渡せるようにしたのです。それらを個々に動かしながら目的のために全体最適へと統合する、経営という言葉では言い表せない変化自在な営みを擬似体験で観えるようになることを期待しています。
 

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